1月17日 阪神淡路大震災が起こった日です。
園では、この日を忘れず、自分自身の身を守るすべを知るべく、避難訓練を実施しました。
5歳児の保育室で子どもと遊んでいると、ジリジリジリ…と鳴り響く非常ベルの音にドキッとした瞬間。
周りの子どもたちを見渡すと、しっかり自分の頭を抱え、姿勢を低くして先生の周りに自然と集まる姿が見られました。
何度も園で受けている避難訓練。始めはドキドキして動けなくて泣いたり、その場で固まっていたりしていた子どもたちも、今では、どうすればいいのかが身につき、自然と動けているように感じました。
それぞれ、一番近くにいる先生のそばに集まったあと、園庭に上靴のまま非難し、全員が集合します。
初めての時は、汚してはダメだと思い込み、靴を履き替えようとしていた姿も今では見られなくなり、上靴のまま小走りで
集まります。
園庭に集まった後、5歳児の子どもたちに、神戸で震災に遭った時の話をしました。
私(養護教諭)は出身が神戸で、その当時も住んでいて震災を体験しました。
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震災の日、私は2階に居て炬燵で寝てしまい、大きな揺れに気が付いた時には、慌てて炬燵の中に潜り込みました。
揺れがおさまり、炬燵からこわごわと顔を出した時には、本棚からたくさんの本が落ち、足の踏み場もない状態でした。
慌てて両親に声をかけ、1階に降りると、下の部屋も食器棚からたくさんの食器が飛び散り、割れていました。
「踏んだら危ないから、スリッパをはきなさい!」と母に言われたことを思い出します。
もちろん真冬。とっても寒くて暖房をつけようにも、電気やガスも止まっています。
そして…、水も止まってしまいました。
こうなると、本当にもう何にもできないことに気が付きました。
急いで家にある食料を探しても保存食はなく。とりあえず食べられる物を食べて、まずは食料と水の確保に動くことに
なりました。大きなバケツを持っては何度も水を運び、お風呂に溜める作業です。
そして、食料を買い足すため、急いで近所のスーパーに向かいますが、道路が陥没していて危険な状態でした。
そして、一家の大黒柱である父親は、近所の人の安否を確認するとすぐに職場に行ってしまい、残された母と姉と
近所の人と助け合って、何とか気持ちを保っていたのでした。
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こんなことを5歳児の子どもたちに話し、たくさんの人たちが亡くなったことや、今、生きているのはたくさんの人の
助けがあったからこそだということを伝えました。
ちょっと長い話も一生懸命真剣に聞いてくれた子どもたち。
自宅に帰ってからも、保護者に訓練の話や私の体験した話をしていたそうです。
ある子どもは、震災の話を聞いて命の大切さを感じ、「今を精一杯生きる」と言ったり、「お母さんは
どうだったの?」「これから僕は、震災の話をみんなに伝えていかないといけないから教えて!」と震災の怖さを
感じつつも、自分ができることを考えたりする姿が見られました。
当たり前にある生活に感謝しつつ、今を精一杯生きること・・・。
いつまで続くかわからないコロナ渦の中、改めて今ある健康や生活について考える時間になりました。